「まあ……、まだ期末まで時間あるからさ」
返却されたプリントを握り絞め呆然とする私を、呆れたように笑う幼馴染の言葉が突き刺さる。
丸よりもレ点の方が多く並ぶ答案用紙は、今しがたトウヤによって採点されたばかり。右上には想像通りの点数がデカデカと書き記されている。何もそんなに大きく書かなくたって、と採点者に八つ当たりめいた感情すら芽生え始めた。
「どうしよう……ぜんっぜん、分かんなかった」
期末に赤点を取った生徒は夏休みに補習を組まれてしまうんだとか。カトレアから聞いた噂話が頭によぎり、それがさらに気分を沈ませる。このままじゃ赤点だって免れない。そう思うとテンションは下がる一方で、ぐでぐでの軟体動物みたいに机に泣き伏せる私を、トウヤは呆れたように見下ろした。
「まあ、何とかなるんじゃない?」
抜け殻みたいになっている私を見兼ねてか、トウヤが楽観的な笑顔を浮かべながらそう言った。面倒くさそうな気持ちが透けて見える、貼り付けたような笑顔に、適当言わないでよと声を投げる。
「何だよ。せっかく励ましてやったのに」
「もっとそれっぽい顔して言ってよぉ」
本人曰く励ましてくれているらしいが、だとしても軽すぎる。何よりそんな激励を素直に受け止められないくらい、今の私は悲壮感に満ちていた。そのくらい今回の小テストは少しばかり散々な結果だった。しっかり理解出来ているか、と言われるとだいぶ怪しいくらいには。
「まあ……、まず計算ミス減らすとこからだろ。ほら。ここと、あれ」
ぬ、と伸びてきた指が小テストの上を順番になぞっていく。それからそこと、あとこれも。私の目線を引き連れた指先はするすると滑っていき、六問ほどの問題を順番に指し示した。
「全部、解き方は合ってるよ」
「そうなの?」
「解き方は、な」
幾つか指差したあと、半分くらいはケアレスミスだとトウヤは言った。思わず疑いの目を向けると、そんなつまんない嘘つくかよ、とでも言いたげに頬杖をついている。
つまり、ミス減らせば何とかなる……かもってこと? そんな一抹の期待を抱いて、もう一度隣へと視線を返す。だけどそんな期待をぴしゃりと打ち砕くみたいに、トウヤは鼻で笑う。
「解き方が合ってるかも分かってないのに?」
「……ごもっともで」
「なんだ、自覚あるじゃん」
ぐさりと図星を突かれて言葉に詰まる。トウヤの言う通りだった。最後の方なんて特にそう。時間が無くて、けど何も書かないよりはマシ。そんな気持ちで雑に解いてしまったのを思い出す。
「トウヤは満点だったね」
いっつも寝てるくせに。昔から要領がいい幼馴染へ、恨めしげな視線を投げる。ついでにしくしくと嘘泣きのように泣いて見せれば、トウヤは小さいため息をひとつこぼして私へと向き直った。
「ナマエ、週末ひま?」
「え? 暇だけど……、何で?」
突拍子もない質問に意味がわからず聞き返す。
「なんでって、テスト勉強。付き合ってやるよ」
「誰の?」
「お前以外誰がいるんだよ」
見てやるから、土曜日うちに集合な。わざとらしい小さな溜息をひとつ零し、トウヤはさも当然のように予定を決めていく。
ちょっと待ってよと慌てて静止したものの、彼にそんな言葉は意味もなく、赤点採るなら止めないけどと嫌味が飛んでくる始末だ。
それに言い返すこともできずすっかり置いてきぼりな私をさらに置き去りにして、トウヤは話を進めていった。
「ナマエ確か古文得意だよな? 数学見てやるから教えてよ」
「……分かった。そっちが本音でしょ」
「タダ働きするほど優しくねーよ」
「台無しだなあ。まあ別に、古文くらいならいいけど」
「よし、決まりな」
ふっと、トウヤの顔が無邪気に緩む。嬉しそうな表情は、まるで遊ぶ約束を取り付けた子供のようで、心臓をきゅうと締め付ける。
都合のいいように受け取りたくなくて、私は同じように口角を上げる事しか出来なかった。
薄く目を開けると、カーテンの隙間から夏の日差しが差し込んでいた。眩しさに眉を寄せながら、ぼんやりと枕元の目覚まし時計に手を伸ばす。
時刻はまだ六時前。平日だってこんなに早くは起きないのに、今日は自然と目が覚めてしまった。しばらくぼんやりと微睡んでいたが、二度寝できそうな程の睡魔はいつの間にか引っ込んでしまったらしい。
「……遠足に行くんじゃないんだから」
誰に言い訳するでもなく小さく呟きながら、ベッドから降りる。
クローゼットの前で何を着ようか少しだけ悩んで、ラフなTシャツを手に取った。これと、デニムで良いか。姿見の前でシャツを合わせて考える。
――ただの勉強会、だから。
そう思いながらも、もう一度クローゼットを物色するように視線が泳ぐ。何着か手に取って、結局別の服を選び直した。
この前買ったばかりのブラウスと、お気に入りのロングスカートを姿見の前で合わせてみる。変ではない。だけど、幼馴染達と集まる時にスカートなんてあんまり履いたことが無かった。
手元から鏡の奥へと視線を上げる。姿見に映った自分の顔が思っていたよりずっと浮かれていて、思わず苦笑いが零れてしまう。
「浮かれてるなぁ……」
ただの勉強会がこんなに楽しみな予定になるなんて。自分の浮かれ具合を客観視した途端、急に恥ずかしくなりベッドへ沈み直す。恋は盲目とはよく言ったものだ。
「そういえば、みんな何時に行くんだろう」
幼馴染たちのグループルームが、一度も動いていないことを不思議に思いながらも、全部トウヤに任せてしまっていた事を少しだけ反省する。
ちょっと朝早いけど、ベルなら起きてるかも。そんな軽い気持ちで、彼女との個別ルームへメッセージを送信する。
【おはよ! 今日、何時に行く?】
出来ることならトウヤの家へいく前に、ベルと服装を相談したかった。一言、それは浮かれすぎ!と言って欲しい。そうすれば冷静になれる気がするから。
二人でよく使うおそろいのスタンプを添え、携帯を放り投げた。
朝ご飯を食べ終わり、そろそろ本格的に支度を始めようかと思ったタイミングだった。ベッドの上に放り投げた携帯が鈍く震えており、画面を見ると一件の通知が表示されていた。
きっとベルからだ。そう思い、慣れた手つきでロックを解除し確認する。
「えっ、うそ」
ベルからのメッセージを思わず二度見して、すぐに発信ボタンへ指を伸ばす。数回のコール音の後、間延びした声が耳に飛び込んできた。
「おはよぉナマエ」
「おはよ~、じゃなくて! 聞いてないって、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。二人で勉強会するの?」
頑張ってね、と他人事のように笑う幼馴染の言葉を、ちょっと待ってと遮った。
「ベルが聞いてないならチェレンもってこと?」
「うーん、どうだろう? チェレン聞いてる?」
「えっ今一緒にいるの?」
「隣にいるよ~。うちの学校、今日登校日だもん」
僕も連絡来てないよ、とチェレンの声が少し離れたところで聞こえてくる。
「私てっきり、二人にも声がかかってるんだと思ってた……」
そこまで考えたところで、ようやく状況を理解する。
――今日って、私だけ?
携帯を握る手に、じわりと熱が集まる。スピーカーの奥ではベルが何かを楽しそうに喋っている。けれど、そんな言葉はもうほとんど頭に入ってこなかった。