秋風がカーテンを揺らす。
首元を抜けていく微風にはまだ暑さが残るものの、時折感じる乾いた空気が季節の変わり目を知らせているようだった。例年より長めに続いた残暑も、もうすぐ終わる。そんな事をぼんやりと考えながら、模造紙のシワを伸ばす。
体育祭の準備期間が始まって早いもので一週間が経つ。教室の至る所には完成した大道具や小道具が置かれていて、放課後の時間で少しずつ進めてきた準備もそろそろ大詰めな事が伺える。目の前に広がるクラス看板も、あとはスローガンに色を入れるだけだ。クラスメイト達の帰宅ラッシュを見送って、私は再び模造紙へと向き直った。
放課後の教室には、もう数人しか残っていない。さっきまで響いていた笑い声も随分減って、代わりに窓の外から運動部の掛け声が小さく聞こえてくる。
「そこさ、こっちの色のが良くね?」
向かい側から身を乗り出した男子が、絵の具のチューブを差し出してきた。確かにそっちの方が目立つかも。そんな事を話しながら手を伸ばす。
その時だった。
「まだ残ってんの?」
聞き慣れた声が後ろから飛んでくる。振り返れば、教室の入り口にトウヤが立っていた。
肩へ引っ掛けた鞄をそのままに、少しだけ目を細めてこちらを見ている。丁度帰るところだったのだろう。どことなく草臥れた様子の幼馴染に、お疲れ様と声を返す。
「もうちょっとだし、これ塗ったら帰ろうかなって思って」
「……ふーん」
気のない返事をしながら、トウヤの視線は私の向かい側、それから立て看板へと順番に移っていく。
「それ、どんくらい?」
「どんくらいって、……ここ塗ったら終わる、くらい?」
「じゃあ待ってる」
「待ってるって、なんで?」
「帰る方向一緒だし。遅いから乗っけてやるよ」
思わず聞き返すと、トウヤはさも当然みたいな顔で近くの椅子へと腰を下ろす。手に持っていた自転車の鍵を軽く振り、貼り付けたような笑顔でそう続けた。
向かい側の男子の意味深な視線が突き刺さる。なんだか落ち着かなくて、私は誤魔化すように筆先へと意識を戻した。
片付けを終え校舎を出ると、外はすっかり夕暮れ色へ変わっていた。校内に残る人ももうほとんど居ないのだろう。昼間の賑やかさはすっかり鳴りを潜めていて、校門の付近に数人の生徒が残っているだけのようだった。
「お疲れ! 二人ともまた明日な」
「おー」
「お疲れさま。またね」
足早に校門へ向かうクラスメイトの後ろ姿を見送って、トウヤの後を追いかける。がらがらの駐輪場には、ぽつんと見慣れた自転車が一台残るだ けだった。
「腹減ったー」
「別に、先帰ってても良かったのに」
「お前知らねーの? 昨日この辺で不審者出たらしいよ」
幼馴染が行方不明とか目覚め悪いだろ。そんなぶっきらぼうな返事が返ってくる。もしかして心配してくれていたのかも。くすぐったさを誤魔化すように自転車の後ろへ股がった。
「落ちんなよ」
指先に触れた熱は瞬く間に全身を駆け巡った。なんとか落ち着かせようと静かに呼吸を整えていたのに、危ないからちゃんと捕まってろなんて言葉が飛んできて、胸の奥は再び熱を帯びていく。
夕暮れの涼しい空気では到底治まりそうにないほど顔が熱くて、耳の奥で鳴り続けている心臓の音を押し隠すように深呼吸を繰り返す。
私はこんなにも必死に冷静を取り繕っているのに。涼しい顔で自転車を漕ぎ続けている幼馴染に、今度は複雑な気持ちが湧き上がった。良かったような悔しいような。そんな矛盾した感情を持て余しながら、トウヤの横顔を後ろからこっそりと覗く。
昔よりずっと大きく見える背中は、私がちょっとバランスを崩してもビクともしなかった。あんなに遠く感じていた距離が今は近すぎて、やっぱり当分は落ち着けそうにない。
吹き抜けるぬるい風に髪を揺らしながら、あと少しこの道が長ければいいのにと思う。
「……最近仲良いよな、あいつと」
「あいつって、さっきの?」
ぽつりとそんな声が落ちてくる。思わず顔を上げるが、気怠そうな顔はこちらを向くことなくハンドルを握っていた。
「あー……、同じ班だし? 準備で一緒になる事多いんだよね」
返事は返ってこなかった。
なんでそんな事聞くの、なんて。素直に聞けたら楽になるんだろうか。
夕方の風が、火照った頬をそっと撫でていく。途切れた会話を再び続ける気も起きなくて、自転車の後ろに揺られながら、私はそっと視線を伏せた。