08

 爆ぜるような発砲音が校庭中に鳴り響く。
 今日何度目かも分からない乾いた音と同時に、七色のバトンを握りしめた生徒達が一斉に駆け出した。沸き立つ歓声は野太いものから悲鳴のような黄色い声まで様々で、トラックを駆ける走者の背中を追い抜かんばかりに秋晴れの空へ渦巻いている。
 体育祭のプログラムは順調に進み、午後の部も終盤へと差し掛かっていた。朝から走って飛んで踊って……、と忙しなく続いてきた行程も終わりが近づいているというのに、グラウンドの熱気は冷めることなく盛り上がり続けている。
 
「ナマエ、そろそろじゃない?」
 
 カトレアの声に顔を上げれば、次の出番を待つ生徒達が入れ替わるように集合場所へ向かっていた。入場門では実行委員が"借り物競争"の招集案内を掲げていて、既に参加者の三分の一ほどが列を作り始めている。
 クラスメイト達の激励に返事を返し、自分もその列へと混ざる。同じ種目に出る友達ともお互いに頑張ろうね、なんて談笑している間に、トラックの中へと幾つかの障害物が運び込まれていった。
 グラウンド中央には借り物競争用の潜り網が広げられ、その先にはレーン毎の抽選箱が用意されている。
 スタート後にネットを潜り、引いたお題の条件に当てはまる「モノ」を借りて、最後は再びゴールへ走りバトンを繋ぐ。毎年お題のテーマは変わるものの、概ね同じルールで恒例行事になっているんだとか。
 変なお題引きませんように。そんな邪なことを考えているうちに、入場のアナウンスか流れてきた。
 
「始まりました〜本校名物、借り物競争! 今年のお題はなんと人物。お題にあっているなら生徒教員だけでなく、保護者席の親御さんたちでもオッケーです!」
 
 最後は二人三脚でゴールを目指してくださいね。そんな放送委員の流暢な競技説明に、応援席の熱気は段違いに上がっていく。

「準備が整ったようですね。それでは、位置について! ヨーイ……、」

 ――パンッ!
 先程よりもハッキリとした発砲音が鼓膜を揺らす。我先にとネットを潜っていくクラスメイトを応援しながら、第三走者としてテイクオーバーゾーンへと移動する。
 先生だとか、仲のいいクラスメイト、とか。そういう探しやすいお題になりますように。先輩を探してこいなんて言われてもツテもないし、ちょっと困るかも……。そんな不安を抱えたまま、バトンが自分の手元へと回ってきた。
 ネットを潜り抜け、抽選箱の穴へと手を突っ込む。席替えの時ほど選ぶ間もなく、最初に触った一枚を引き抜いた。
 ――よく話す、異性。
 一瞬、頭が真っ白になった。 確かに仲のいいクラスメイトであれ、と思ったばかりだけど! 異性と括られてしまっては、私の出せる選択肢なんて先輩を探し出すのと同じくらい狭くなる。
 周囲では既に走り出している生徒もいて、私のように右往左往してる生徒はすぐまばらになり始めた。
 
「そうだ、トウヤなら」

 すぐにクラスの応援席へと視線を投げ、幼馴染の姿を探す。
 見つけ出すのは簡単だった。
 けれど目当ての男は、既に見覚えのない女子生徒に声をかけられていた。掛けようとしていた声が喉をつっかえる。
 同じ学年だろうか。何かを尋ねられたらしく、トウヤは少し面倒そうな顔をしながら救護班のテントを指差した。それを見て、彼女の顔には人当たりの良さそうな笑顔が浮かぶ。
 砕けた雰囲気からそれなりに親し気な様子が伺えて、思わず視線を逸らしてしまった。
 幼馴染の関係を壊すのが怖い癖に、こんなどろどろとした嫉妬心を向けられるはずも無い。そんな資格、私には無いのだから。
 結局、その子はトウヤを連れていくことなくテントの方へ走って行った。このままお題を見せれば、きっとトウヤは来てくれるだろう。
 ――別に、知らない子と話してただけ。
 ただそれだけ。本当に、それだけ。なのに胸の奥がちくちくと痛む。
 顔を合わせる気分にもなれず当ても無く視線を彷徨わせれば、同じ作業班だった男子が目に留まる。トウヤじゃなきゃいけない理由なんてない。準備期間を一緒に過ごした相手だし、彼でもお題は十分クリアできる。
 だから別に――。

「何ぼーっとしてんだよ」

 真後ろから飛んできた声に肩が跳ねる。付かないふりをするには遅すぎて、私は声のした方へ顔を向けた。

「ナマエも誰か探してんの?」
「え、っと」

 一方的に気まずくなっていた手前、なんと答えていいのか分からなかった。けれど黙り込んでいる訳にもいかなかなくて、握りしめてシワシワになったお題を開いて見せる。

「平気、もう見つかったから。今からお願いしようと思って」
「……それ、誰に声掛けんの?」

 チラリとこれから声をかける予定だった彼へ視線を投げる。トウヤからは何故か少し拗ねたような声色が返ってきた。
 意味がわからず首を傾げれば、トウヤは小さな紙切れを奪うようにひったくった。
 
「ちょっと! 返してよ」
「まだ声かけてないんだろ。俺でいいじゃん」
「そりゃ、私だって……」

 私だって最初はトウヤに頼むつもりだった。それなのに、他の子と仲良く話していたのはトウヤの方で、だから声が掛らけれなかったのに。
 いつまでもハッキリしない私に、トウヤは小さなため息をひとつ溢す。

「――ナマエも全力で走れよ」
「は……、わ! ちょっと待って!」

 私の手首を掴んだかと思えば、トウヤは遠慮なしに走り出した。私なんかでは出せないスピードで走るから、歩幅の合わない足が時折もつれそうになる。ぐんぐんと走っていくトウヤを止めることも出来ず、結局、半ば引きずられるようにしてコースへ戻ってきてしまった。
 目の前へ雪崩のように駆け込んできた私達に、判定員の先生がお題を見せるよう促した。私が選手だというのに、これではまるで私が借りられてきた側だ。トウヤもトウヤで、さも当然のようにお題を渡してしまうから、結局私は幼馴染を連れてきたことを申告するしか無くなった。
 
「トウヤ、もうちょっとゆっくり走ってよ」

 足元でベルトを括る幼馴染へ声を落とす。

「でも今走れてたろ」
「あれは! トウヤが引きずってきたんじゃん!」
「あーもう、分かったって」

 トウヤはベルトをしっかりと絞めて立ち上がった。

「要は転びたくないんだろ?」
「そうだよ! だからもうちょっと、――」

 当たり前のようにトウヤの腕が肩へ回る。近づいた顔に、思わず息を呑んだ。
 二人三脚なのだから肩を組むのは当たり前で、それくらい分かっていたはずなのに。不意に縮まった距離で心臓は大きく跳ねる。
 肩越しに伝わる体温がやけに近くて、熱くて、合わない歩幅の事なんて全部どうでも良くなってしまう。
 
「転びそうになったらさ、俺が引っ張ってやるから」

 だから平気だと、トウヤの口元は悪戯っぽく弧を描く。
 体育祭の熱気のせいだろうか。それとも別の理由だろうか。耳の奥がじわじわと熱を持っていく。
 さっきまで気になっていたあの子のことなんて、全部頭から吹き飛んでしまった。今はただ、隣にいる幼馴染のことしか考えられそうにない。

平気な顔して馬鹿だね