幽かに触れた

「おはよ、マツバ」

 朝起きたら、ナマエがゲンガーたちと一緒に庭の野菜に水やりをしていた。
 昨日の夜、事故死したはずの幼馴染が目の前に現れた。文字通り、"化て出た"。昨日は自分もかなり動揺していたので、とりあえず今日は休んで、それからゆっくり考えようということになった。今思えば化けてでいる相手にゆっくり休んでだなんて、少しおかしな話である。
 ナマエの指示で、僕のポケモン達が手慣れたように野菜の世話をする。もう二度と見れないはずだったその光景とナマエの姿は、まるで普段と変わらずそこに存在しているかのように現実味を帯びていた。


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「まずは状況を整理しようか」
「ご迷惑をおかけしますがお願いします」

 はじめに覚えていることを、1つずつ確認していく。自分の名前や年齢。実家の漢方屋のことや家族のこと。僕やミナキくんのこと。自分のポケモンのこと。聞いた限りでは基本的なことは問題なさそうだった。
 みんなで一緒に縁側でお月見をした事や、冬につついた鍋のこと。他にも子供の頃に流行った遊びの事や友達のことなど、昔のことも覚えているようで、懐かしい話に花が咲いた。

「お花見もした。去年はゲンガーがお団子詰まらせちゃったっけ」
「あの時は大変だったよ」
「楽しかったな……今年はお団子作るつもりだったんだぁ」

 居間から見える桜の木へ視線を逸らしながらナマエがそう言った。
 ナマエはいろんなことをしっかりと覚えていた。朝の光景も相まって、悪い夢を長いこと見ていただけでやっと夢から醒めただけなのでは。そんな事を考えてしまう。
 昔を懐かしむ彼女の横顔はとても穏やかなもので、今にでも消えてしまいそうなくらい儚かった。それを見て、昨日までのことが全部自分の夢の中の出来事ならばどんなによかったことかと思わずにはいられなかった。

「マツバは私のこと見えてるんだよね」
「ああ……見えているよ」


 まさか幼馴染とこんな再会をするとは思ってもいなかったけれど。そう溢すと、彼女からは苦笑いが返ってきた。

「一人でいるときに考えたんだ」

 そう言って差し出された白い掌へゆっくりと手を伸ばし、自分の掌を重ねてみる。そこにナマエの温もりはなく、指先も宙を掻いた。当たり前だが、彼女に触れる事は叶わなかった。僕が見ている悪い夢を打ち砕くには、この現実は十分過ぎる。
 僕は確かに一週間前、棺に入った冷たい彼女を見送ったのだ。

「あのさマツバ」
「どうしたんだい?」
「私、やっぱりさ……死んじゃったんだよね?」

 逸らしたくなるほど真っ直ぐに僕を見据えるナマエ。その瞳は、息をつまらせ心臓を鷲掴みにされているように息苦しくさせた。

「当たり前の事だけど、誰にも気付いてもらえないじゃない?一人で何でこうなったのか考えてたけど、そのうちにこの記憶は本物なのか偽物なのか分からなくなっちゃった。こんな状態になってるし……この記憶はもしかして全部、今までの自分がやりたかった事だったんじゃないかってさ。そう考えたら急に怖くなっちゃったんだよね」

 彼女は、覚えている事が僕と共有出来て初めて自分の記憶は肯定されるのだと俯いた。だからさっきも僕の記憶と合わせてちゃんと辻褄が合っていた事に酷く安心したのだと。

「マツバにお願いがあるの」
「……なんだい」

 聞きたくはなかった。それはとても、僕にとって辛い事なのだと思ったからだ。僕はまだ、君がいない現実を受け止められていないのだから。耳を塞ぎたくなる僕の思いは置き去りにして彼女は続けた。

「この記憶は、ちゃんと生きていた私のものだって証明してほしい」

 顔を上げたナマエの縋るような表情に息を飲む。マツバにしかこんなこと頼めないよとナマエは涙で頬を濡らしていて、それはまるで僕にもこの事実を受け止めるよう求めているようで心臓の奥が苦しくなる。
 涙を拭おうと伸ばした右手は彼女には届かない。先程と同じ行為をしてしまうのは、僕が現実から目を背けていたことを証明するようだった。
 ナマエはもうここには居ないのだ。

「君は一週間前、小さな子供を助けて崖から落ち、そして亡くなったんだ」

 きっと彼女は、いつまでも現実へ戻れないでいる僕の為にこうして姿を現したのかもしれない。
 俯いているナマエを残し居間を出る。目の前の幼馴染に、今の僕は何もしてはやれないのだ。