隠し味にするには少し苦い
マツバさんからショートメッセージが届いたのは、丁度午前の業務を終えお弁当の蓋を開けたタイミングだった。
今朝方、箱に詰めてきた黄色の玉子をつつきながらメッセージを目で追うと、今夜の予定を伺う内容が簡潔に綴られている。そんなメッセージへ空いている旨を一言返し、今日は一体何をもらって来たんだろうかと思案する。
彼がこうしてメッセージを送って来る時、その八割はお夕飯のお誘いだ。いや、SOSという方が正しいかもしれない。
エンジュのジムリーダーをこなす傍らで、彼の千里眼を頼りに困り事が持ち込まれることも少なくないという。今ではすっかり、街の何でも屋さんのような立ち位置になっているマツバさんだが、彼の食生活はそれはお粗末なものだった。
まあ無理もない。いくらマツバさんがしっかりしているとはいえ、独身の一人暮らしとはそういうものだろう。
だけれど、そんな街の顔に不摂生で倒れられては困るというのもエンジュシティの総意。しっかり食べなあかん!とお節介を焼きたがるジムのイタコさんを筆頭に、彼の元にはちょっとしたお礼やお裾分けという名目で、その日のお夕飯のおかずや時には旬の食材が度々差し入れられている。
そこで問題になったのが、足の早い物の消費が追いつかないという事と、なにより彼は料理の心得がほとんどないという事だった。
独身一人暮らし。食生活を心配され差し入れをされる男が、料理できたらこんなことになっていないよと困り顔で言ったのが二年ほど前の事。
どんな経緯か知らないが恐らく母の推薦により、差し入れられた食材を調理し消費する役目がこうして回ってくる事になった。
美味しい物を食べるのは大好きだ。私としても特に断る理由がなく、定期的に彼の家で食事を作りお夕飯に肖っている。
『いつも悪いね。助かります』
『いえいえ。今日はなんもろたん?』
『ズッキーニと、おくらとピーマン』
品揃えに初夏を感じる。隣の家のおじいちゃんだろうか。マツバさんのお家もかなり立派なお庭だけど、その隣も負けず劣らず広い敷地で家主が日々畑仕事に精を出している。
以前食事当番だった時にカレーをお裾分けしたら、大層気に入ってくれたっけ。カレーなんて誰が作っても同じだろうが、褒められるのは純粋に嬉しかった。
そんな昔の事をふと思い出し、同時に献立が決まる。
『夏野菜カレーでどうやろう?ご飯だけよろしくお願いします』
疑問形で投げかけるような聞き方をしたが、彼から却下された事は一度もない。献立の決定権の九割はこちらにある。残りの一割はごく稀にリクエストが来るくらいだ。
案の定、マツバさんからはすぐに了承の返事が届いた。珍しく、万歳をしたゲンガーのスタンプが添えられており、カレーの人気度を思い知る。
ここまで喜ばれると作りがいがあるなあ。
顔が緩みかけたのを慌てて引き締め、弁当箱の続きへと箸を伸ばした。
***
「こんばんは〜」
静かな家に呼び鈴が響いた後、すぐに聞きなれた声が追いかけるように耳を通り抜けた。手元から顔を上げ時計へと視線を移す。時刻は夕方の五時半だ。
もうそんな時間かと書斎を出て台所へと顔を出すと、丁度声の主をゲンガーたちが招き入れたところだった。
「いらっしゃい、なまえちゃん」
「あっ、お邪魔してますマツバさん。えっ、なんこれ!?ズッキーニ?立派やねぇ」
「隣のおじいちゃんから頂いたんだよ」
やっぱりなぁ。そう呟きつつも手際よくエプロンを身につけていく彼女の姿に、自分も袖を捲りながら指示を仰ぐ。
「ほんなら、この野菜全部切ってもらおかな」
乱切りとくし切りでお願いします。なんていう注文を付け加えた彼女の手から、人参と玉ねぎを受け取りわかったよと頷いた。
なまえちゃんがこの家に出入りし始めた頃は、まだ隣で眺めているだけだった。慣れた様子でトントンと包丁を扱う様子を、凄いなあなんて呑気に見ていたのが懐かしい。
いつだったか、マツバさんもやってみいひん?なんていうなまえちゃんの一言をきっかけに、彼女から少しづつ料理を習うようになった。
包丁の使い方に始まり、野菜の切り方や味の付け方。最低限だが少しづつ叩き込まれ、数年前よりは料理の心得が身についたつもりでいる。
まあ、彼女が来ている時は未だに野菜を切るか火の番くらいしか任されないのだけども。
「もらった野菜はどうするんだい?」
「焼いて乗せるとうまいんよ」
人参の皮むきに取り掛かりながら、どんどん輪切りに刻まれていくズッキーニを横目に盗み見る。
手際よく包丁を扱う様子は何度見ても感心してしまう。彼女の家では食事は当番制だと言うし、幼少期からよく手伝ってきたんだろう。習慣づいた包丁裁きは見ていて気持ちがいいものだった。
「……マツバさん。手元見てへんと、何にも無うなりますよ」
なまえちゃんから早速お小言が飛んできたので、分かってますよと大人しく人参の皮むきへ戻る。
「相変わらず手際がいいなと思って」
「マツバさんの始めた頃は、危のうて見てられへんかったもんね」
「うーん、耳が痛いな……」
「でもかなり上達したわぁ!たまにしか使わへんのに、自信もってええと思いますよ」
僕の事を煽てつつも止まることのない包丁の音を聞きながら、人参へとピーラーの歯を添わせていく。
「なまえちゃんはきっと、料理上手な奥さんになるだろうね」
「そうですかね?ほんなら、マツバさんには早う一人前になってもらわなあかんねぇ」
「え?困ったなぁ。君がお嫁に行けるかは僕に次第って事になるだろう」
「そうや?責任重大やなあ」
冗談を言いながらくすくすと笑う彼女に、僕には荷が重いなと返す。
気付いたらズッキーニはすっかり輪切りになってしまっていて、彼女の手元では既にピーマンが細切りにされいた。
「安心してええよ?マツバさんが一人でご飯作れるまでは、先生してあげますから」
彼女もいつか胃袋を掴んだ相手を連れてくるんだろう。これは早めに巣立たなければならないがやはり、彼女に追いつくのはまだしばらくかかりそうだ。
もうしばらくお世話になりますと苦笑い気味にこぼし、今度こそしっかり人参に向き合うのだった。