明らむ空の夢

「久しぶり。今から出かけるから支度して、一分で」
「はあ……?」
 
 明日は休みだからと夜中の一人時間を満喫していたところに、トウヤは突然帰って来た。
 ド深夜なんてこと悪びれる様子もなくライブキャスターを鳴らし、彼が開口一番放った言葉は「ちょっと窓開けてくれる?」で、ある。訳も分からず言われるがままに行動すれば、するりと体を撫でる冷たい空気。目の前にはよく知る鳥ポケモンに乗った幼馴染の姿。
 数年ぶりだろうか。こんな時間まで起きているんじゃなかったなあ。寒さによる身震いと軽い後悔が全身を巡る。
 久方ぶりの再会で他に言う事はなかったんだろうか。というか、私二年前に実家を出たんだけど。なんでアパートの住所を知ってるのか。出かけるよなんて軽いテンションで言ってくれるが、そもそも今は夜中の三時だ。これから出かけるような時間でない事だけは確かだ。
 聞きたい事や文句は山ほどあるが、きっとどの答えも彼から引き出す事は不可能だろう。喉まで出かかったその疑問は一旦飲み込むことにした。

「もう寝ようと思ってたのに……」
「どうせ明日休みだろ?いいもん見れるかもよ」
 
 ほら早くと急かすようなトウヤの口調に、しぶしぶ厚手の上着を羽織る。どこに連れていかれるのか知らないが、お財布とライブキャスターだけあればいいだろう。困ったら、きっと全部この幼馴染がなんとかするはずだ。
 私の準備ができたのを見計らって、ぬっと彼の手が伸びてくる。差し出されたそれを恐る恐る掴み返す。ぐんっと力強く引っ張られ、丁度彼にもたれる形でウォーグルの背に引き上げられた。

「久しぶりだね、ウォーグル」

 元気だったかと首元を撫でてやると気持ちよさそうに擦り寄って来た。最後に会った時から変わらない毛並みの良さに、毎日念入りブラッシングしてもらっていることが聞かずともよく分かる。
 きっと他の子たちもみんなそうなんだろうな。
 トウヤが一番最初にカノコを出てからどれほど経つか。記憶では五、六年ほど前の事だったと思う。ベルとチェレンと三人で旅に出て、旅をする許可が下りなかった私はそれを見送るしかなくて歯がゆい思いをした。
 それでもたまにベルはここに帰ってきてくれて、よく旅の話をしてくれた。幼馴染たちが凄い勢いでジムを攻略しているという話も、なにかよくない事件に巻き込まれている事を聞いたのも彼女からだった。
 心配で、でも彼らを追いかける手段なんて無くて。ただ無事を信じ、待つしか出来なかった。
 そんな私の胸の内なんて知らないこの幼なじみは、約一年弱でイッシュリーグを制覇してなんたら団も倒してしまったらしい。漸く帰ってきたかと思えば、今度は旅の間に知り合った友達を捜しに行くなんて言って、また何処かへ行ってしまった。
 改めてちゃんと考えてみれば、こうして顔を合わせるのは多分彼がカノコを出た日の前日以来だ。さっきと同じように突然訪ねてきたトウヤと夜空の下で話をした。流石にこんな夜更けではなかったが、あの日もすごく寒かったのをよく覚えている。
 昔はあんなに毎日顔を合わせていたのに、会っていなかった期間が長すぎて少し変な感じがする。久しぶりに掴んだ手は確かに一回り大きかった気がするし、あの頃は背丈の差もこんなに大きく開いていなかった。旅に出た幼馴染はすっかり成長してしまったようだ。
 なんだか悔しくなり、思い切り後ろへ体重を預けてみる。だけどトウヤはびくともしなくて、それどころか寒かった?なんて気遣う始末。
 知らない人みたい。そう思ったら少し寂しくなり、ぎごちなく首を振る。

「ねえ、どこに行くの?」
「ん?行けば分かるよ」
 
 この顔はよく知っている。
 悪だくみをしている時。それから誰かを驚かせようとしている時。トウヤは少し眉を上げてにししと笑う。いたずらっ子のような彼の表情は、私にほんの少しだけ安心感を抱かせた。
 どのくらい飛んでいたのだろうか。トウヤがウォーグルへ短く声をかける。返事をするように力強く鳴いたウォーグルは、旋回しつつ高度を下げてそのまま小高い場所へと着地した。
 先に降りたトウヤは当たり前のように手を差し出した。だけど、先ほど引っ込んだ喪失感とほんの少しの気恥ずかしさが邪魔をして、私はそれを握り返すことができずにいた。少し考えて、結局、誤魔化すようにぴょんと飛び降り地面へと足を下ろす。

「あっこら!危ないな」
「平気だってば」

 子供を叱るみたいにトウヤが怒るので、つい反論してしまう。
 私ももう子供じゃない。実際、難なくウォーグルの背から降りることができたのに、トウヤはどこか不満そうだった。

「ここは?」
「14番道路……、ホワイトフォレストとサザナミタウンの間だな」

 道路の番号を言われてもぱっとしていないのが伝わったらしい。トウヤは追加の説明を続けてくれた。
 なるほどなるほど。私の地理的能力をよくわかってらっしゃるようで。すっかり変わってしまったと思ったが、こういうところは変わっていない。
 適当な場所を探し二人で並んで座る。崖下に目線をやれば、段々になった滝が幾つか見えた。その更に奥へと視線を伸ばすと、綺麗な砂浜と静かな海が広がっている。空は少しだけ明るくなってきており、時たま光を反射するサザナミ湾が綺麗だ。
 出かけにトウヤの言った”いいもの”とはこの海の事なのか。家を出る際に飲み込んだ疑問達と一緒にそろそろぶつけてみても良いだろうか。
 言葉に迷っているとトウヤがあのさと口を開く。先を越されてしまった。

「……怒ってる?」
「……、ん?えっなんで?」

 彼が切り出したのは予想外の一言だった。怒ってるって、それは……何か心当たりでもあるってことか。身に覚えが無く、戸惑いながら聞き返す。

「なんでって……、全然連絡しなかったし。あと急に連れ出したし」

 尻つぼみになっていく声量となんだか気まずそうなトウヤの表情に、自覚があったんだと面食らう。と同時に、連絡してこないことに慣れていた自分にも驚いた。
 心配してなかったわけではない。だけど、まあトウヤの事だ。どこかで元気にしているんだろうななんて、そんな風にいつの間にか無理やり納得していたらしい。なんとも思わなくなっていた気持ちが、彼の言葉でぶわりと呼び起こされる。

「心配はしてた、よ」
「うん」
「けど、多分急に帰ってくるんだろうなあって思ってたし。だから別に怒ってた訳ではないよ。なんで?」
「なんかよそよそしいから」

 そりゃあ久しぶりに会うんだから大目に見てほしい。
 おんなじくらいだった背丈はすっかり抜かされてしまったし、低くなった声は知らない人みたいで聞き馴れない。かと思えば、昔みたいに笑うし。
 こちらとしては言いたいことと聞きたい話に上乗せされて、正直いっぱいいっぱいなのだ。
 寂しそうな横顔へそう素直に白状してやれば、なんだそんなことかとすぐにいつもの調子に戻ってしまった。

「それ言うならトウヤだって変だった」
「別にそんなことないけど。なまえは変わんないな」
「酷いなあ。そこはなまえも大人になったね、じゃないの?」

 私だっていつまでも子供のままではないのだけど。旅には行けなかったが、あれから私にも色々な事があった。
 短かった髪は腰まで伸びたし一人暮らしだって始めた。サンヨウシティのレストランでウェイターとして雇ってもらったのは、もうかれこれ四年ほど前の事だ。
 私の世界が小さなカノコのだけだった時とはもう違う。そりゃあトウヤたちとはスケールが違うけど、私にも色々あったんだからと不満げに訴える。

「……嘘だよ」

 そんな私の様子に、帽子を深く被りなおして彼はゆっくり口を開いた。

「久しぶりに帰ってきたら、しっかりしてて驚いた」
「でしょう?大人になったのよ」
「あと……、綺麗になったよ」

 そんなこと言うような子供じゃなかったのに。やっぱり彼は、随分と成長してしまったらしい。
 鉄砲玉を食らったように何も言えなくなってしまった私の顔を見て、やっぱ変わってないわとトウヤは笑う。

「ちょっと!からかってるでしょ……!」
「あはは」
「あははじゃないよ!もう!」

 なんだか今のトウヤは心臓に悪い。
 顔色一つ変えずにそんな言葉を言えるようになった彼に、私はすっかり振り回されてしまっている。これ以上からかわれては身がもたない。顔の赤みを誤魔化すように、慌てて話題を変える。
 
「友達には会えたの?」
「ああ、会えたよ。だから帰ってきたんだ」
「そっか、よかったね会えて」

 彼が二度目の旅に出た日の事を思い出す。
 ゆっくり話すことも無くトウヤは旅立ってしまったけど、あの日の彼の横顔は何かを抱え込んでいるようにしか見えなかった。最初に送り出した時とは違い全く楽しそうじゃなくて。それが心の隅で気になっていた。
 会えたよと言ったトウヤの顔は憑き物が落ちたみたいに穏やかで、私も釣られて顔が綻んだ。
 
「今度は何処にいくの?」
「何が?」
「なにって、また旅にでるんでしょう?」

 あの日旅にでた幼なじみ達は、今それぞれの道を歩んでいる。
 チェレンはヒオウギに新しく出来たジムのリーダーとスクールの先生も兼任しているし、ベルはアララギ博士の助手としてイッシュを駆け回っている。
 イッシュリーグのチャンピオンになった幼馴染は友達を探しに再び旅立ち、そしてそれを終えて帰ってきた。今度はどうするのだろう。どうせすぐにまた何処かへ旅に出てしまうんだろう。
 ――そして私は今回も待つ事しか出来ないのだろうか。

「うーん、そうだな。もっかいイッシュ回ってみるのも面白いかもな。まだ行ってないジムもあるし、ポケモンの分布も変わったんだってな」
「そうみたい、ベルが頑張ってるよ」

 トウヤが楽しそうに話す。その横顔が知らない街や出会いへの期待に満ちあふれていて、私は思わず目を背け俯いた。待ってるから、たまには帰って来てね。そう言いかけたが結局やめて、口を噤んでしまった。

「お前は……、なまえはまた待ってるつもりなの?」
「え?」
「旅に出たいんじゃないのって聞いてんだけど」

 トウヤの唐突な問いに、少し混乱する。
 旅に出たいかって、そりゃあ出たいに決まっている。私だって、三人が見てきた物や歩いた道を、この目で見てこの足で歩いて出会ってみたい。
 だけど私の母はベルのお父さんなんて比べ物にならないくらい過保護だ。あの日私が一人カノコに残ったのも、母が最後まで首を縦に振らなかったからだ。
 私が家を出て一人暮らしを始めると言い出した時も、隣町のサンヨウならという条件付きで許されたようなものだ。旅に出たいだなんて到底許されるとは思えない。

「私は待つしか出来ないんだよ。お母さんがきっと許してくれないもん」
「じゃあさ、俺が一緒についてくって言ったら?」
「……ん?何?」

 トウヤの言っている事が理解できずに、間抜けな返事になってしまった。
 ついてくるって、何に?意味が分かっていない私なんてお構いなしの様子のトウヤは、ゆっくりと立ち上がり言葉を続けた。

「実はさあ、昨日先におばさんと会ってきたんだけど」
「はあ……?」
「イッシュで最強になっただけの俺じゃあ、娘さんの旅のお供に役不足ですか?って聞いてきたんだ」
「ううん……、と?」
 
 いよいよ訳が分からなくなってきた。少し混乱、なんてものじゃない。私の頭は既に大パニックになっている。だけどトウヤは喋るのを止めずにどんどん昨日の出来事を連ねていった。
 
「気になる?おばさんなんて言ってたか」
「そ、そりゃ」

 はいこれ、と手のひらに握らされる球体。見慣れてはいないが、それがモンスターボールだということはすぐに分かった。

「おばさんから預かって来た。連れ出してやってって言ってたよ」
「お母さんが?」
「まずはポケモン捕まえなきゃな。一緒にイッシュ全部回ってさ、いろいろ見よう」
「それって、つまり」

 今度は私も旅ができる、ってことであっているのか。驚きと歓喜と困惑と。なんだかいろんな感情が混ざり合ってしまい言葉が続かない。そんな私にブラウンの瞳は柔らかに微笑む。
 
「ほら、来てよかっただろ?」

 トウヤが私の目の前に手を差し出しながらサザナミ湾へ視線を投げる。同じように顔を向ければ丁度太陽が顔を出し始めており、朝日に照らされた水面とで境界線が曖昧になっていた。
 突き出されてた彼の掌を恐る恐る握り返す。トウヤはそんな私の手を逃がすまいというようにがっしりと掴み、そのまま一気に引っぱり上げた。その手はやっぱり大きくて、だけどもう寂しさを覚えることもないだろう。
 ゆっくりと明るさを増していく空はとても広く見えた。