04




「おはよ〜」
「ゲン!」

 午前十時過ぎ。
 朝食の片付けが丁度済んだ頃に、ヤイトが居間へと顔を出した。勝手に上がっちゃったとゲンガーのボールを寄越しながら軽く頭を下げた幼馴染に、別に構わないよと了承する。
 昔からよく知る仲だ。返事があろうがなかろうが、扉が開きさえすれば上がり込んでくるなんてことは日常茶飯事だった。

「あれ、ミナキは?どうかしたの?」
「朝から蔵に籠ってるよ」
「ああ、スイクンね」

 いや、千里眼の方。そう返せばなんであんなところにと、あからさまにヤイトの表情が歪む。
 うちの屋敷には幾つか蔵がある。ひとつが、ここエンジュの伝承に関係する宝物が保管される蔵。ミナキくんが追うスイクン、もとい三犬伝説の古い資料なんかもこちらにある。ふたつめが所謂僕の御先祖達が残した、一族に関する資料が保管される蔵。引き継いできた千里眼に属する記録やすずの塔の管理方法等、あれらは全てこの蔵だ。
 水色の瞳の幼馴染の方はよくこうして我が家の蔵を尋ねてくるが、そのほとんどは彼の追いかける三犬伝説の資料が目当てだ。それが今日は朝から千里眼の記録を見せてくれと、珍しくもう片方の蔵へと籠っている。あそこの資料には千里眼絡みで請け負った依頼の記録なども残っているから、きっと彼なりに彼女の事で何か手掛かりが無いかと行動した結果なのだろう。
 ただ、通称千里眼の蔵――ヤイトがそう呼んでいるだけなのだが、この蔵は普段出入りが少ない。薄暗くて嫌な雰囲気が漂っているし、彼女が顔を歪めたくなる気持ちも分からなく無かった。

「ヤイト、呼びに行ってきてくれない?」

 ヤイトが来たら声を掛けるように言われてるんだと加えれば、えーと嫌そうな返事が返ってくる。その顔に、君のために調べてるんだ。呼びに行くくらいは我慢しなよと言い返す。しぶしぶといった様子のヤイト。

「あそこ、ひとりじゃ怖いじゃん……?」
「ミナキくんがいるだろう」
「うう……ゲンガー、お供頼むね」
「ゲンガー。甘やかさなくていいぞ」
「えっ、そんなあ!」

 僕の一言で家の壁裏へ吸い込まれるようにゲンガーが体を埋める。お供は丁度今、お役御免となったらしい。雇っていたはずの相手から呆気なく見捨てられた雇い主。その青い顔を、ゲンガーはにたにたと愉快そうに見つめていた。
 蔵から戻ってきた二人へお茶を淹れ、昨日預かっていたポケギアを机の真ん中へ置く。そして、その隣へ最中と家にあった饅頭を添えた。
 満面の笑みでそれに手を伸ばすヤイト。昨日はあんなにびびっていたというのに。相変わらず調子がいいなと呆れてしまう。

「ヤイトが来る前に、ミカンちゃんに少し話を聞いたんだ」

 饅頭の包みを剥がしながら、アサギのジムリーダーから聞いた話を掻い摘んで説明する。
 ヤイトの言った来なかった客というのは、カロス地方からの旅行客だったらしい。観光でジョウトを回り終えた彼は、アサギ港から隣のカントーを経由してカロスへと帰る――はずだった。

「それが、当日事故にあってしまった……ということか」
「そう。正しくはその前の晩だったみたいだよ。38番道路で土砂崩れがあっただろう?あの犠牲者が彼だったんだ」

 湯呑みを煽り、それでねと続ける。ミナキくんは興味津々な様子でやや前のめりに相槌を打った。隣のヤイトはこれ以上聞きたくないと情けない顔をしていて、それでも最中をかじる手は止まらない。

「問題はこの後だよ。彼のポケモンは三匹居てね。ゴーゴートとファイアロー。この二匹は、残念ながら彼と共に事故に巻き込まれてしまった」

 ゴーゴートが見つかり、ファイアローも後に続くように見つかった。彼らはそう遠くない位置で息絶えており、近くにはタウンマップやキズぐすりが次々に出てきたそうだ。そしてその数日後、トレーナーの遺体が土砂の中から発見される。
 まるで、この奥にいるって教えてくれたみたいですよね。時折声を詰まらせながら、ミカンちゃんはそう呟いていた。

「そうだったんだ……。あの日、前日はすごい大雨だったから。確か警報が出てたの」
「……、それで。三匹目はどうなった」
「バケッチャだよ。この子だけまだ見つかっていないんだ」

 そう、見つからなかった。
 彼の身元が判明し、トレーナー情報も明らかになった。彼の手持ちもそのタイミングで分かったと聞いている。
 二匹が巻き込まれていた。だからバケッチャも土砂に巻き込まれていると考えるのが自然だろう。土砂を片付けながらの捜索は三ヶ月程続いたという。それなのに。

「どれだけ土砂を掘り返しても、バケッチャは見付からなかった」
「そんな……」
「だけどね。最後の土砂が片付いた時、出てきた物があったんだ」

 それが空のモンスターボール。それも一度は使用され、中にポケモンが居た痕跡が残るボール。それはつまり、一度捕まえたポケモンを逃がしているという事だった。

「待ってくれマツバ。なら、バケッチャはまだ」
「うん。多分まだ生きてるよ」

 バケッチャというポケモンは、カロスに生息する草ゴーストの複合タイプを持つ可愛らしいポケモンだ。だがその愛らしい見た目に反し、彼らの腹の中には成仏できなかった魂が貯めこまれていると言う。
 今回の得体の知れない着信やメールは、きっとバケッチャの仕業だろう。経緯はどうてあれ、トレーナーと二匹の魂がこの腹の中に収まっているとしたならば、十分増幅機となり得るのだ。
 ヤイトの周りで起こった出来事を消去法で消した結果、この事故以外に心当たりが見つからない、というのが正直なところだから推測でしかないのだけど。

「……で、どうするかだよね」

 原因の検討は付いた。あとはそれを解決してやればこの厄介な現象も落ち着く、というのが怪異現象を収める際のセオリーというものだ。
 俯き気味にヤイトは口を開く。その肩は酷く下がっており、珍しく眉間に皺を寄せこう続けた。

「バケッチャが生きていたとして、……半年もどうやって生きてきたのかな」

 見ず知らずの土地で同種の仲間がいる訳でもない。もしかすると食べているものだって違うかもしれない。きっと早く見つけて欲しいんじゃないかな。そうヤイトは呟いた。

「ヤイト。駄目だよ同情しては」
「分かってる。だけど、これが本当だったらあんまりにも……」

 ――不憫だよ。
 そう呟く彼女の小さな声に、僕達は目を伏せることしか出来なかった。

 *
 
 まずはバケッチャの方を見てみようか。そう言ったマツバが、自室に籠り二十分が経った。その間、私達に出来る事があるはずもなく、ただ黙々と出されたお茶請けを空にしていく。
 ――怪異に同情はご法度。
 これはマツバのおばあさんから言われた言葉だ。隙を見せたら連れて行かれるからとか、簡単に心の内側に入り込んでくるだとか。そんな理由らしい。
 あの頃の私にとって怪異は今以上に怖くて恐ろしいものであり、同情なんてするような相手でもなくて、だから言われた事がよく分からなかった。だけど今は分かる気がする。

「気になるか?」
「……うん。けど、マツバの言うことも分かるから」

 同情なんてしたらいけない。マツバはああ言ったけど、背景を知ってしまうとやっぱりそうもいかない。出来ることなら、せめて故郷へ帰れるといい。その手助けが出来るならしてあげたい。

「って思っちゃうのは、偽善なのかな」

 最中を丁度口に収めたミナキへ問いかける。彼はもぐもぐと口の中身を堪能した後、お茶を啜りながらそうだなぁと考えるように首を傾げた。

「偽善かどうかと言われると、正直答えるのは難しい。けどな」
「?」
「ヤイトはきっと助けるよ。そういう奴だからな君は。そして、マツバもそういう奴だ」
 
 彼の言葉がすーっと頭のモヤを晴らしていく。確かにそうかもしれない。私はやめろと言われてもきっと助けたくなってしまうだろうし、何よりマツバがゴーストポケモンを見捨てる事は有り得ない事だ。

「そんな私達に付き合ってくれるのがミナキ?」
「……!はは、そうかもな」

 だから心配する事は無い。そう言って、コバルトブルーの瞳が満足そうに細められた。
 ミナキが先程開けた最中を平らげた頃、マツバが居間に戻ってきた。

 「……!」
 
 丁度同じタイミングだった。しばらく大人しくしていたポケギアから着信音が鳴り響き、直ぐに切れた。表示は非通知。
 この家にある限りは鳴らないと思っていたんだけどなあと、マツバがポケギアを手に取る。ここにはマツバに従うゴーストポケモンしか居ないから、逆にそういう物が近寄りたがらないのだと以前聞いた事がある。

「あまりいい状況じゃなさそうだ」
「バケッチャの居場所は分かったのか?」
「うん、ウバメの森だと思う」

 出掛けるよと家の戸締まりをポケモン達に命じ、自らも机の湯呑みを片付け始める。促されるように身支度を整え、私たちもそのままウバメの森へと向かう事となる。
 道中でマツバが千里眼で見た事を教えてくれた。
 バケッチャだけが助かったのは、やはり直前に逃がされていたからだった。トレーナーの起点で九死に一生を得たものの、自分だけが残ってしまった。パニックになったバケッチャは、彼らの魂を自らに取り込みその後ウバメの森の奥に身を寄せていた。半年もの長い間、ずっとだ。
 バケッチャと一緒に見えたものがあるとマツバは続けた。時折バケッチャの腹から出てきては周りをふよふよと漂う三つの光。きっとバケッチャの主人と二匹の仲間なのだろう、と。

「心配そうにバケッチャを囲んで、また腹の中に吸い込まれていったんだ。バケッチャの強い念は勿論感じたし、その三つの玉からも似たようなものを感じたよ」
 
 マツバが感じたのは、トレーナーの魂を故郷へ連れて帰りたいというバケッチャの想いの現れか。それともバケッチャを自由にしてやりたいというトレーナーの願いなのか。はたまた、その両方か。
 私のポケギアと通じたのが偶然か必然か分からないけれど、今となっては繋がったのが私のポケギアで良かったのかもしれない。きっと、今の彼らを助けてあげられるのは私たちだけなのだから。
 
「マツバ。バケッチャはカロスに戻してあげられないのかな」
「ヤイト、同情は良くないってさっき言っただろう」
「それは、そうなんだけど」
「……マツバ、私からも頼む。何とかならないのか?」

 食い下がる私とそれに加勢するミナキ。そして、マツバは深く溜息をついてから、にこりと口角を上げる。――そういうと思っていたよ、と。


 
 それで、あれからどうなんだい?と、お茶を啜るマツバ。なんともないよと、こちらも一口大の羊羹を口に放り込む。程よく濃厚で、だけど口に残らない甘さ。やっぱり鳳凰堂の餡子は絶品だなと自然と口角もあがる。
 朝から行われたマツバ家の法事は滞り無く全てを終えた。親世代組に捕まる前に大広間を抜け出した私達は、勝手知ったる台所の隅へと身をよせている。
 あの日、ウバメの森で見付けたのは酷く衰弱したバケッチャの姿だった。マツバの機転ですぐに病院に連れて行き事なきを得たが、あと少し遅ければ手遅れだったと聞いている。バケッチャの回復を待ち、先週トレーナーの家族へと引き取られていった。
 その後、ポケギアの着歴に非通知が並ぶことは一度も無かった。